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嵐山町web博物誌・第5巻「嵐山町の中世」

畠山重忠

畠山重忠(はたけやましげただ)は武蔵武士の典型的な人物であり、武将の鑑(かがみ)として尊敬されてきました。嵐山町にある菅谷館跡は、畠山重忠が構え住んだ館といわれています。

1.重忠の誕生

爽やかな気概、多くの戦功。鑑と讃えられた武将の誕生です。

重忠誕生の地

国宝赤糸威大鎧|写真 国宝赤糸威大鎧 (東京都青梅市御嶽神社提供)
畠山重忠が着用し、御嶽神社に奉納したと伝えられています。
 畠山重忠は、1164(長寛2)年、武蔵国男衾郡畠山荘(現埼玉県深谷市)に生まれ育ちました。爽やかな気概と数多くの戦功は特に目立ち、鎌倉武士の模範とまで讃えられた武将でした。父は畠山重能で、幼名を氏王丸(うじおうまる)と言いました。先祖は秩父地方一帯に大きな勢力を持っていた秩父氏で、その一族の嫡流(ちゃくりゅう)です。父重能の時、畠山に移りその姓を名乗りました。やがて菅谷(嵐山町)に館を構えるまで、重忠は少年時代を畠山の地ですごしました。重能が構えた畠山館は、現在畠山重忠史跡公園となっており、重忠主従の墓所や馬を背負った像があります。また付近には菩提寺である満福寺(まんぷくじ)や井椋(いぐら)神社、鴬(うぐいす)の瀬などのゆかりの場所があります。

畠山重忠公像
畠山重忠公像1|写真 菅谷館跡内にあり、昭和4年に建立された竹筋コンクリート像です。
満福寺
満福寺|写真 畠山館跡から北東へ500mに位置しています。白田山観音院満福寺といい、新義真言宗豊山派の寺です。平安時代の開基で、重忠が寿永年間に再興し菩提寺にしたと伝えられ、現在の建物は、江戸期以降のものですが、境内には板碑などが残されています。
井椋(いぐら)神社
井椋神社|写真 満福寺の北にあります。畠山氏の進出時に、秩父市吉田にある椋(むく)神社を勧請したと伝えられています。椋神社は代々の秩父氏の守り神として尊敬され、井椋神社も畠山氏の守護神であったと推定されています。
畠山重忠年表
畠山重忠年表|写真
畠山重忠公像
畠山重忠公像2|写真 深谷市 重忠館跡(史跡公園)内にあります。昭和63年建立。「ひよどり越え」愛馬背負いの勇姿を表しています。
鴬(うぐいす)の瀬
鴬の瀬|写真 重忠が家来の家へ行った帰りに豪雨で荒川が増水して困っていたところ、一羽の鴬が飛んできて美しい鳴き声で浅瀬を教えてくれたという深谷市にある伝承の地です。
畠山館跡
畠山館跡|写真 重忠が誕生したと伝えられる深谷市畠山にある館跡です。伝重忠墓を始めとする、6基の五輪塔が残されています。江戸中期の『新編武蔵風土記稿』には、土塁や井戸が残ることが記載され、最近の発掘調査では堀跡が発見されています。