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嵐山町web博物誌・第1巻「嵐山町の動物」

第5章:人家周辺の主な動物たち

第4節:動物の利用

1.姿を消した家畜たち

農耕用の牛は、農業機器の導入によって人家周辺から姿を消しましたが、乳牛や肉牛は今でもわずかながら飼われています。

 家畜と言えば、人にとっては最も関わりの深い動物でしょう。現代のように“もの”が豊富でなかった時期には、動力源や乗り物として、あるいは食料を確保するために、どこの家でも家畜を飼っていました。農家では馬や牛などは特に大切にされ、人と同じ屋根の下で生活し、住宅も家畜たちに合わせた作りとなっていました。また鶏とは「庭にいる鳥」の意味で、庭に放し飼いにしているのがふつうだったようです。これだけ動物たちの存在が身近であったのですから、私たち人も家畜がいなくなってさみしいのでしょう。今では犬や猫などがペットとして、馬や牛に代わって盛んに飼われています。

柵の中の鶏の写真

庭でミミズなどをつついていた鶏。今では企業により大規模に飼育がおこなわれており、昔のように農家の庭先で見かけることはあまりなくなりました。最近は健康ブームにより、今まで飼育されていた鶏の代わりに烏骨鶏を飼い、その卵を利用する家が見られるようになってきました。

嵐山町では現在、馬を飼っている家はまったく見られません。ところが明治初期の嵐山町内では、400頭以上もの馬が飼われていました。しかもそのほとんどはオスだったようです。この古い写真は、嵐山町内で農耕馬として活躍する馬の姿をとらえた貴重なものです。
昔の農耕馬の写真

馬頭観音の写真 馬がまだふつうに飼われていた江戸時代には、仕事の安全祈願や馬の健康を願って、地域の馬持ちたちが馬頭観音講を行なっていました。その供養塔として建てられたのが馬頭観音(馬頭尊あるいは馬頭観世音とも呼ぶ)の供養塔です。写真の馬頭観音は古里地区のもので、頭の部分に馬の顔が掘ってあります。昭和初期には軍用馬として軍に徴発された馬の墓石代わりに、個人が供養塔を建てたこともありました。