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嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」

1.古墳・死者が眠る丘

埋もれていた歴史

 嵐山町では、近年の町内の開発などで十数基の古墳が発掘調査されています。1400年の静かな眠りを妨げてしまって申し訳ないことです。けれども、当時の権力者たちが誇っていたであろう栄華を、また葬送の儀式の様を、ほんの少しだけですがかいま見ることができます。
 古墳の中には、鏡や剣が多数納められています。遺体はきらびやかな装飾品を全身にまとって葬られました。たいへんな財力を必要とするのです。また古墳を造るのは、大勢の人員を動員する一大土木事業です。当時のムラの中の、権力者と庶民との関係や社会のありようも投影されています。

  • 古里古墳群・清水支群|写真
     古里古墳群・清水支群
  • 古里古墳群・北田支群3号墳群|写真
     古里古墳群・北田支群3号墳
  • 天神山古墳群2号墳|写真
     天神山古墳群2号墳
  • 屋田古墳群7号墳|写真
     屋田古墳群7号墳
  • 東昌寺古墳群1号墳|写真
     東昌寺古墳群1号墳
  • 物見塚古墳群|写真
     物見塚古墳群
  • 向原古墳群|写真
     向原古墳群
  • 稲荷塚古墳|写真
     稲荷塚古墳
  • 山王古墳群|写真
     山王古墳群
  • 行司免古墳群1号墳|写真
     行司免古墳群1号墳
  • 粟津が原古墳群7号墳|写真
     粟津が原古墳群7号墳
  • 峠の平古墳群1号墳|写真
     峠の平古墳群1号墳

清水支群 清水支群 北田支群 北田支群 天神山古墳群 天神山古墳群 屋田古墳群 屋田古墳群 東昌寺古墳群 向原古墳群 向原古墳群 山王古墳群 山王古墳群 物見塚古墳群 物見塚古墳群 稲荷塚古墳 行司免古墳群 行司免古墳群 粟津が原古墳群 粟津が原古墳群 峠の平古墳群 峠の平古墳群

嵐山町の古墳マップ
 町内の古墳は大きく三つの地域に分けられてそれぞれの特色を見いだすことができます。
 ひとつは、古里古墳群を中心とした北部の古墳群です。滑川の源流域の沖積地を見下ろす大字古里の丘陵上には、8カ所の支群に分かれた古里古墳群があります。埴輪をもつ6世紀代の古墳から横穴式石室をもつ7世紀代の古墳へと年代の幅があります。石室の石材にはこの地域の基盤を構成する凝灰岩の切石が用いられています。岩根沢には町内唯一の横穴墓もあります。また、滑川の沖積地を臨む大字勝田の天神山古墳群も凝灰岩の切石を用いた横穴式石室であり、このグループに含めることができそうです。
 二つ目は市野川に面した台地上にある屋田古墳群です。この古墳は滑川町の月輪古墳群と一体となるもので、5世紀から7世紀にかけて多数の古墳が築造されました。この古墳群でも後期の横穴式石室の石材は凝灰岩の切石を用いていました。
 三つ目は都幾川流域の古墳群です。菅谷台地の南縁に沿った一群と対岸の行司免や粟津原古墳群などがあります。この地域の古墳の特色は、横穴式石室をもつ終末期の古墳であり、石室の石材に結晶片岩の割石や扁平な自然礫を使用していることです。菅谷中学校校庭の南側にある稲荷塚古墳は、その典型的なもので、開口している石室の内部を観察することができます。