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嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」

2.旧石器時代の日本列島

八島ヶ原湿原遠景|写真
八島ヶ原湿原遠景 長野県霧ケ峰高原にある標高1630mの八島ヶ原湿原の夏です。周囲の山々にはアカマツなどの針葉樹とミズナラなど落葉広葉樹の疎林が広がっています。旧石器時代の原風景はこのようなものと考えられます。

旧石器時代の日本列島

海面の上昇が─

 地球は、過去に4回の大きな氷河期を経験しています。年平均気温が現代より約7度も低く、地球全体がツンドラ地帯のような、1年の7割が厳しい冬といった気候でした。南極、北極は厚い氷に覆われ、高山の万年雪は氷河となりました。このため海水が減って、浅い海底が地表に現れました。極寒期には海水面は130メートルも低下したといわれます。日本はアジアと地続きになっていました。
 日本に人類が住み始めた約3万年前は、最後の氷河期に当たります。そして2万年前には寒さはピークを過ぎ、徐々に温暖化に向いました。

旧石器人の狩猟想像図(イラスト:森井勝利)
旧石器人の狩猟想像図|イラスト ナウマンゾウや、オオツノジカなどの大型動物は、集団による狩りで足場の悪い湿地へと追い込み仕留めています。
ナウマンゾウの牙とオオツノジカの角(野尻湖発掘調査団提供)
ナウマンゾウの牙とオオツノジカの角|写真 野尻湖遺跡では多くの動物化石が発見されています。この牙と掌状角は、その出土状態から「月と星」の愛称があります。

最古の狩人たち

移動生活と狩り

 長野県野尻湖の湖底は、太古の日本のタイムカプセルです。ニホンジカ、ヒグマ、ヤマドリなどとともに絶滅したナウマンゾウやオオツノジカなどの骨が大量に発見されています。また、これらの狩猟に用いた石器も湖周辺の遺跡から数多く見つかりました。
 約1万2千年前ころまで、日本は寒冷な気候とあわせて、各地で火山が活発に噴火をくり返していました。私たちの祖先は、火山災害を避けながら、食糧となる動物を追い求める巧みな移動生活を行なっていたのです。

ナウマンゾウの復元模型(上)オオツノジカの復元模型(下)
(野尻湖ナウマンゾウ博物館提供)
マンモスゾウやヘラジカは大陸のシベリアから北海道に、オオツノジカやナウマンゾウは朝鮮半島を経由し、南方から日本へ来ました。 旧石器人も狩りの獲物である大型動物を追って南北から日本列島にやって来たと考えられています。
ナウマンゾウの復元模型|写真
オオツノジカの復元模型|写真
ナウマンゾウとオオツノジカの骨格標本
(栃木県立博物館蔵、笠懸野岩宿文化資料館提供)
旧石器人の狩猟対象動物は、ナウマンゾウ、オオツノジカ、ヒグマ、ニホンジカなどでした。このうち大型動物である、ナウマンゾウは約17000年前、オオツノジカは約14000年前に、生息環境の変化により絶滅しました。
ナウマンゾウの骨格標本|写真オオツノジカの骨格標本|写真