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嵐山町web博物誌・第7巻【祭りと年中行事編】

盆前の行事

みどり児の頬付け眠る花茣蓙に 田中照子

 大きな笹竹を担いだ人がやってきます。七夕飾りを作る子どもたちの声が響きます。ご先祖様をお迎えする盆行事の中の一日に、いつの頃からか、織姫と彦星の伝説が結びついて、七夕のお祭りになりました。
 祭りや行事には、遠い昔からの記憶が封じ込められています。祭りの由来や道具の意味などいろいろです。私達は、その中身を知らないまま、美しい小箱を先祖から受け継いだようなものです。今ではもう、開け方さえわからないかもしれません。それでも小箱は子孫へと引き渡されていきます。

1.カマノクチアケ|家の行事

墓掃除|写真
墓掃除。

 八月一日は、地獄(じごく)の釜(かま)の蓋(ふた)が開く日といわれ、まんじゅうを作るところもあります。「朝早く起きて、蓋が開く音を聞く」ともいわれ、ご先祖様があの世から現世に旅立つ日なのです。
 また、この日には、米やまんじゅうをお重に詰めて寺に納める盆供(ぼんく)も行われ、施餓鬼(せがき)の塔婆(とうば)をお願いしてきました。新盆(あらぼん)(亡くなってから初めての盆供)の家では近親者がガンマキ(棺桶に巻いた晒〈さらし〉)で作った三角袋に、施主と故人の戒名(かいみょう)を書き、お米を一升入れて持っていきます。近年、盆供は、地区ごとに日にちが異なり、七夕に近い土・日曜や七月の下旬に行われています。納めるものも現物から現金に変わってきています。
 盆供の前後で墓掃除も行われますが、七夕に行うという家も多くあります。たいていの家では各家毎に行いますが、イッケ(親類)総出で墓掃除をするところもあります。
 墓を清め、寺に参って、先祖を迎える準備を整えたのです。

まんじゅう|写真
盆供にはお重におまんじゅうを詰めて。

三角袋|写真 ガンマキで作った三角袋。葬儀の時、近親者には棺桶に巻いた晒を切って配り、新盆供の時に三角袋を作って供物を持ってきてもらいます。

グラフ ■養蚕業の衰退と盆の時期の遷り変わり (資料提供:大塚基氏氏)

お盆の時期

【盆前の風景】

繭|写真
 現在は八月十三日〜十六日というところが多いようですが、昭和二十年代は九月一〜四日、昭和三十年代になると八月二十六〜二十九日、さらにその後昭和五十年代までは八月二十三〜二十六日と変わってきています。これは嵐山で盛んに行われていた養蚕との関係が深く、八月が夏蚕(なつご)の上簇(じょうぞく)にあたるので、家の中は主屋の中まで蚕(かいこ)を移す簇(まぶし)でいっぱいになり、お盆どころではなかったのでした。
 養蚕がやられなくなってからは、働きに出る人が多くなったこともあり、会社の盆休みの関係で八月十三日から盆になったといいます。

桑畑|写真 桑畑。

蚕を簇に移す様子|写真 蚕を簇に移す様子。ここで糸を吐出してさなぎ(繭)になっていきます。(杉山、水島嘉夫さん宅)

繭を作りはじめる|写真 簇で繭を作りはじめた蚕。