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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

 退任のあいさつ

前町長 関根茂章  

 初秋の候、皆様には益々ご清祥のこととおよろこび申上げます。
 さて、私は九月八日任期を満了し、盟友の新町長に今後を託し、嵐山町長の職を退きました。顧みますと、昭和三十九年(1964)、「愛」と「道義」を基調とした文化的田園都市を創造することをうったえて初当選いたしました。三十九歳になったばかりでした。
 以来、五期二十年の長きにわたり、皆様の絶大なるご支援をたまわり、嵐山町の首長として、その重責をはたすため、己(おのれ)をつくして働かせていただきました。ちょうど日本の経済・社会の飛躍的発展期から、今日の低成長期へと激動と不透明な時代でありました。
 この間、国・県・町・広域の行政機関や議会の関係者の皆さん、また多数の町民の皆さんからあたたかい絶大なご支援とご協力をたまわりました。皆さんのご支援あればこそ、長期にわたる職責をはたすことが出来たのでございまして、心から感謝を申し上げる次第でございます。本当にありがとうございました。
 わが嵐山町は、すばらしい自然と幾多の歴史遺産にめぐまれ、常に私どもの誇りとする、ふるさとでございます。このふるさとは幾多無名の先人たちが、営々として心血を注いで築いてきたものであります。治乱と興亡の歴史を生きぬいて、今日の嵐山町があるわけでございます。二十年、それは長い歴史の一点にすぎないかも知れませんが、私は無上の光栄と充実感を覚える次第でございます。
 特に日本の発展期に際会し、その姿の中に文明の衰亡の兆(きざし)を感じとった私は、次のことを考えました。立派な花や実を得るためには眼には見えない、地下部の根を強靱にしなければならない。ましてや根を腐らしては絶対にいけない。そして更に、国家、社会の病気はその主体者である人間が、「偽」(うそ・いつわり)「私」(エゴ)「放」(ルール違反)「奢」(心身のおごり)から始まる。これを「四患」と言い、これを発生させないようつとめること、発生したら除去することであると中国の荀悦という昔の人(荀の十三世の子孫)が教えています。
 これらのことを肝に銘じて、命がけで町政を担当させていただきました。そして幾多の美しい心、あたたかい心、きびしい心、大きい心を知ることが出来ました。感謝の気持でいっぱいでございます。また、幾つも未解決の問題を残していて申し訳なく存じています。しかし、先輩の播いたものを収穫したり、自分の播いたものを後輩が管理し、収穫することは、行政の鉄則でございますので、ご理解をたまわりたいと存じます。
 新町長は、行政の大きな流れを継承して下さるとともに、二十一世紀へ向けて、活力ある新しい展開をなさるものと、私は願いをこめ期待をいたしておるところでございます。
 何卒、新町長に対し、一層のご支援を賜わりますよう、心からお願いする次第でございます。
 私は今、任を終え、高崎達蔵・青木義夫両先輩の墓前に謹んで報告を申しあげたところでございます。
 今後は野にあって、ささやかながら一灯を点じ、一隅を照らす精進をかさね、いささかなりと皆様の御厚情に報いたい念じておるところでございます。
 最後に、嵐山町の限りない発展と、平和、町民皆様の御多幸を切にお祈りして退任のあいさつにかえさせていただきます。


関根茂章町長 二十年の歴史

昭和39年(1964)9月 菅谷村長に初当選
昭和40年度 鎌形八幡橋落成 670万円
昭和42年度 町制施行(4月)、嵐山町となる(世帯2091戸、人口10148人)
      七郷中体育館落成(3月)
昭和43年度 菅谷中プール竣工(7月)
      嵐山町誌発行(8月)
昭和44年度 七郷中プール竣工(7月)
昭和45年度 中央公民館落成(4月) 4450万円
昭和46年度 地産団地分譲始まる(9月)
      菅谷小新増築工事落成(3月) 1億3780万円
昭和47年度 消防組合第一分署開署
      槻川橋竣工 6500万円
      国立婦人教育会館嵐山町に決定(3月)
昭和48年度 菅谷館跡国指定史跡となる
      全町水道工事完成(5月) 2億7805万円
      町立幼稚園完成(12月) 3774万円
      七郷小改築工事落成(3月) 1億7065万円
昭和49年度 菅谷小プール竣工(7月)
昭和50年度 菅谷中増築校舎完成(5月)
      県立歴史資料館完成(7月)
      七郷小学校校庭完成 自衛隊の部隊の施工による
昭和51年度 県立嵐山郷開園
昭和52年度 国道254号嵐山バイパス開通
      国立婦人教育会館開館(11月)
昭和53年度 鎌形小校舎完成 6050万円
昭和54年度 志賀小開校 3億9900万円
昭和55年度 町民憲章を制定
      関越自動車道(東松山〜前橋)開通 嵐山区間5.9km
      菅谷小校舎・調理室完成 5億3000万円
昭和56年度 町民文化大学開講
昭和57年度 駅東土地区画整理組合設立
      嵐山南部土地改良区設立
      鎌形・二瀬グランド完成
昭和58年度 日赤旧社屋鎌形小へ移転
      嵐山町史発行
昭和59年度 玉ノ岡中開校 5億3750万円

『嵐山町報道』324号 1984年(昭和59)10月5日
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