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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第10節:嵐山町誌

三、村の生活(その二)

第9節:鎮守様と共同体制

鎮守様の成立

 私たちはこれを村の成立と相伴ったものと考える。村の成立というのは、古い昔の人たちが、農耕に便利なところに居住して、自然にそこに集落が出来て、これが村という地域に区画されたという場合もあろうし、制度の上から、郷、里、保、荘、村などという区画がきめられて、これが後に村の名で呼ばれるようになって、村ができたという場合もあるだろう。いずれにしてもこの村の成立と表裏して、村の鎮守様というものが出て来たのだろうと思うのである。
 というのは前にもいったように農業の生活はいつも自然を相手にして行なわれた。暑さ寒さの気候や晴雨旱湿(かんしつ)の天候から一時も離れてくらすことは出来なかった。そしてこの自然というものは人力の及ばないものである。超人間の力である。超人間の力は神である。だから自然は神の支配するものであり、又は神そのものであると考えた。それで農民はいつもその身辺に神の存在を意識していたのである。神の力によって農作の豊饒を保証して貰う外なかったのである。全国的にひろく存在する「田の神」はその代表的のものであろう。これは稲作の神である。その他わが国の神々は、すべて農作の豊饒を保証する神徳をもっていたのである。
 だから村という人の集りとその地域が出来ると、それが自然に出来たものであれ、人為的に作られたものであれ、その村には必ず神がまつられることになると思う。これは村民全体の生活を保証する農業の神であるから、これが村の鎮守様となるのは、自然の道筋である。鎮守様は村の成立と相伴つて出来て来た、と考えるのはこういうわけである。かくして村には一つの鎮守様が祀られることになった。鎮守の起原についてはこのように考えられるのである。

『嵐山町誌』(嵐山町発行、1968年8月21日)
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