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嵐山町web博物誌・第4巻「嵐山町の原始・古代」

3.嵐山町の旧石器

比企郡の旧石器時代遺跡分布図
遺跡分布図 約26カ所で100点余りの石器が確認されています。東松山市、嵐山町、滑川町の台地部及び丘陵の先端から多く発見されます。石器は、ナイフ形石器と尖頭器が中心です。
行司免遺跡出土石器(町指定文化財)
行司免遺跡出土石器|写真 大蔵の行司免遺跡ではナイフ形石器3点(上段)、尖頭器4点、剥片1点(右下)の計8点の石器が出土しています。石質は黒曜石が多くチャートもあります。最も大きいナイフ形石器は6.1cm、尖頭器は6.4cmです。
ナイフ形石器(勝田・尺尻遺跡出土、県立埋蔵文化財センター蔵)
ナイフ形石器|写真 石質は黒曜石です。
尖頭器(むさし台・向原遺跡採集)
尖頭器|写真 黒曜石製。長さは5.7cmです。

嵐山町の旧石器

行司免など4遺跡

 現在、埼玉県内で確認されている旧石器時代の遺跡は約300カ所です。その大部分は、県の南部に集中しています。比企郡内の遺跡あるいは遺物の発見地は26カ所です。県南部は大宮台地、武蔵野台地といった平坦な地形が広がっていて、旧石器時代に堆積したローム層がよく残っています。一方、比企郡などの丘陵地は起伏が大きく、雨や川の侵食で遺跡が消滅している可能性があります。そのため、数が極端に少ないのです。
 嵐山町ではローム層中からの発見ではありませんが、5カ所から石器が採集されています。大字大蔵の行司免遺跡からは、8点の石器が見つかり、旧石器人たちの活動の一端を知ることができます。

嵐山町菅谷台地のローム層
ローム層|写真 嵐山町では菅谷台地に薄いローム層の堆積が見られますが、丘陵部ではほとんど流失しており、旧石器時代の遺跡を見つけることが困難です。
黒曜石交易図(長野県立歴史館図録により作成)
黒曜石交易図
旧石器人は地元産の岩石を主な石材に選びますが、鋭利な刃が作れる黒曜石だけは遠方の原産地から求めていました。
行司免遺跡出土黒曜石の産地分析表(『嵐山町博物誌調査報告第6集』により作成)
行司免遺跡出土黒曜石の産地分析表 蛍光X線分析装置による原産地分析の結果、行司免遺跡出土の石器7点はすべて長野県和田峠周辺のものであることがわかりました。

黒曜石を求めて

長野県和田峠産

 旧石器人が最も愛用した石材は黒曜石(こくようせき)です。火山のマグマが地中で急激に冷やされてできた、いわば天然のガラスです。打ち欠くと薄く剥がれるように割れ、鋭い刃が容易に作れます。火山国の日本では、各地に黒曜石の産地がありますが、どこででも採れるわけではありません。
 近年、岩石を元素のレベルまで調べることにより、原産地を推定する研究が確立しました。嵐山町行司免遺跡(ぎょうじめんいせき)から発見された旧石器を分析したところ、黒曜石の原産地は約200キロメートル離れた長野県星ケ塔産(ほしがとうさん)であることがわかりました。さいたま市西大宮バイパスNo.4遺跡の黒曜石は、長野県和田峠と栃木県高原山、伊豆七島神津島(こうずしま)のものでした。移動生活をしていたとはいえ、旧石器人が想像以上に広域の活動、交流をしていたことを物語っています。

滑川町大堀遺跡出土石器(宮島良春氏蔵、滑川町教育委員会提供)
滑川町大堀遺跡出土石器|写真 ナイフ形石器6点と剥片2点が採集されています。ナイフ形石器は、長さが3.5〜7.0cm、石質が黒曜石とチャートです。
用土庵B・二ツ沼南遺跡出土石器(滑川町教育委員会蔵)
用土庵B・二ツ沼南遺跡出土石器|写真 嵐山町と滑川町にあるオオムラサキゴルフコース内の遺跡で、各遺跡から黒曜石の石器が出土しました。右の2点は用土庵B遺跡の石刃とナイフ形石器、左は二ツ沼南遺跡の掻器です。
東松山市塚原遺跡(東松山市教育委員会提供)
東松山市塚原遺跡|写真 比企郡では初めてローム層中から2か所の石器群が検出されました。石器出土層は、ハードローム層より下の暗褐色帯で2万年以前の可能性があります。
塚原遺跡出土ナイフ形石器(東松山市教育委員会蔵)
塚原遺跡出土ナイフ形石器|写真
長野県下諏訪町和田峠付近
長野県下諏訪町和田峠付近|写真 長野県霧ヶ峰火山の和田峠周辺は、黒曜石の原産地として古くから知られています。黒く光る黒曜石は夜空の星に例えられ、その産地は星ヶ塔(下諏訪町)、星糞峠(長門町)と呼ばれています。