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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

旧菅谷村

女性よ精神革命をなせ
    日本婦人の美徳なを健在
            根岸婦人会長挨拶

 私のような力の乏しい者が初代の会長という重任を持ちまして、一体何をすべきか、どんな性格の婦人会を創設すべきかを考えて見ました。そしてこゝに四つの問題を取り上げて見たのでございます。
(一)農村婦人の自主性についてでございます
 今しきりに云はれて居ります男女同権という言葉はどう解決すべきでしようか。男女同権と申しますのは、所謂民主主義による「人権の確立」から、人間一人一人の「自由と平等の権利が確認され、そこから出発した男と女の権利の同じであることを主張したものでございまして、女が男になつたり、男が女になつたりすることではないのでございます。一口でいえば、女が最も女らしくなる事であり、男が最も男らしくなる事であるといいましようか。
 男は男の持場を堅持し、女は女の持場を堅持し、しかもこの男女の有する権利は少しの差別がなく、優劣もありません。地上に生とし生ける人間の一人一人が皆一様にこの「自由と平等」の権利を持ちお互いにこれを侵すことなく認め合つて暮してゆくという生き方でございまして、男女に限らず地上の人類はすべて同様なのでございます。それにも拘はらず我が國の封建制は今まで、女を男より低いものとして不思議に思はなかつたのでございます。戦争は実に私どもの手から生命を、物質を、精神を、飽くことなく奪つてゆきました。そしてその拂いました、犠牲の大きかつた事は古今未曽有でありました。しかし一面こゝに又得がたい貴いものを私どもに教えてくれました。それがこの眞に正しい人間として生きる道。即ち民主主義の生き方でございました。これは世界史上にも銘記すべき事柄であります。
 男と女とセツクスの違う限り、同権であろうとも同一である事はないのでございます。これが男女の生きてゆく上の原則であると思います。それならば、
二、農村婦人の仕事はこのためどういう変化がありましたでしようか。法的には男女の同権は認められました。しかし実際の面に於いては戦前も戦後もあまり変りなく、相変らず畑に出て日の出から日没まで働き、その上、余分に家事一切の切り盛りがあつて過重労働が家庭の内部から裏口にかけての一切の場所に待つて居ります。煩雑でゆとりのない農村婦人の生活の改善の必要はしみじみとこゝに感じられるのでございます。
 仕事に於いてはこのように少しも変りはないのでございますが、精神に於きましてはすでに大きな変りがあつた筈であります。以前は女は何の権利もなく、無給の下女のようにたゞ働いていさえすれば事が済みました。しかし、現在は、女も一人の人間として自ら責任をもつて働くという所に民主主義の骨髄ともなるべき自主性の現はれがなくてはなりません。「自分からやる」という氣持こそ女性を向上させる原動力であつて、その仕事の一つ一つにもこれが現はれて居なければならない筈でございます。女性の地位が高まつたということは樂になつた事ではなくて、責任という大物を背負い込んでしまつたと思う方がわかりが早いのでございます。
 こゝにこそ、今まで「女は何もできない」と引込み思案でいた女性に、精神革命があつてよいのだと思います。女の持場は男に委(まか)せられない「自分からやるのだ」という自主活動こそ將來の女性の生活を改善向上させてゆくのでございます。では、
三、日本婦人美徳は今どうなつているのでしようか。これも健在だと思います。
 封建性から生れた昔の美徳は今は美徳とは申されないのでございます。そして人間の本性から生れたところの傳統の美徳はこれは一層賞揚されて差支えないと思います。
 女は「裏口の守り本尊」と昔からされて來た位で、これは日本婦人の美徳の一つと教えられ、その犠牲的、献身的な努力は女自身の内から湧き上る愛情の発露でありましてこの自分から止むにやまれぬ力でさかのぼる眞実こそ民主主義の精神であり、一層この美徳はこゝに磨き上げられ、光り輝やいてゆくものでございます。
 我が婦人会の任務もこゝに深く根をおろし、この精神を貫くところに價値あるものとなつてまいります。
(二)文化の向上について
 都会に比べて農村の文化の低いことは事実でございます。これは色々の原因があるので急にこれを解決して都会なみに引き上げてゆくことは出來ない事でございます。或いは政治の面に、或いは人間生活の上に、或いは國力財源の面に地理的自然的條件の面に雑多にその理由があつて、それから片づけてゆかねばならないわけで、何故農村を嫌つて都会に人が集中するかといふ事は、実に世界的にわたる大問題なのでございます。この容易でない解決を待つことはできませんので、現在の段階に於いて、まづ焦眉の問題として、一衛生思想を普及して手の届く限り非衛生的のところを改善し、無病息災の健康の村を建設すること。
二、科学を取り入れた日常生活技能の習得をすること、例へば、
 育兒看護の知識、台所の改善、料理栄養の研究、染色美容の知識、其他種々の利用法等直接生活に結びついた実際面の技術の習得でございます。
三、其他兒童福祉と教育機関への結びつきなども取り上げ、迷信の駆逐因習打破なども取り上たい事項でございます。
(三)婦人会の在り方でございます。
 在來の愛國婦人会國防婦人会とちがいまして、これは皆様方自身の会でございます。
 そして役員の会でもないといふ事を先づ明瞭にしておきます。
 皆様の内から盛り上がる力を捉へ、それを相互に研究し、逐次実行に移す会なのでございます。
 役員はたゞこの会の運轉を司る運轉手の資格であるだけでございます。行く先はお乗り下さる人のお心まかせで何れへなりと忠実に運轉してまいります。
 何卒皆様の実際生活の上から、協力して改善すべきところ、又相互にやつて欲しい仕事など、どしどし御提案下さいまして、この会を活潑な有能な機関として育成して下さいますやうお願い致しておきます。
(四)村内婦人の親睦についてでございます。一村は一家のようにというのが目標でございます。
 かうして遠くは遠山、將軍沢の果々から、近くはお膝元の菅谷の方々まで一堂にお集りになり、お顔を合せましたゞけでも誠に意義深いものがあります。こうした寄合いでもなければ同じ村内に居ながら一生顔を合せることもなく見ず知らずの人として過してしまいます。寄り合つてお互いに温め合うという事はお互い人類の深い郷愁なのでございまして、誰もが喜びとするところでございます。同じ生命を同じ地上に託し、しかも一村という近い間に居りましては、白々しい他人とは思はれないのでございます。社会を一つの単位としてその中にお互いに係はり合つて生きてゆく人間同志なのでございます。他人の子も自分の子も同じでございます。
 何卒して、しばしばかうした会合のあります事が望ましく、その節はお子様などお連れになり、万障お繰り合せ御出かけになり膝つき合せて四方山語り合いながら自然に出る村の改善或いは各自の生活の向上など取り上げてゆく事ができましたら、どんなに嬉しい事でしよう。皆様度々会つてお話しようではありませんか。
 以上述べました四つの事項は会則第二條の精神を体し、考えて見た事でありまして、これがこの会の性格を裏づけるものともなりましよう。どうぞ皆様御賛成御協力下さいまして、この婦人会を花も実もあるものに育成していたゞきたいと熱望する次第でございます。

『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日
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