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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第4節:今昔話・伝説

川島の今昔[権田重良]

川島の今昔(その6)「皇国諸工祖御神璽」の石碑

                   権田重良

 鬼神様境内より、少し離れて菓子屋権田家の東側の林の中に地元で金刀比羅様(ことひらさま)と呼ぶ大きな石碑がある。小川家の管理と聞くが、荒れ果てた林に埋もれて、その陰も在所も川島の人達も古老が語る以外には忘れ去られていた碑である。
 近年になり近所の人の奉仕で林が整理されて姿が見られる。二段の土台石上に五尺(1.5m)角以上の大きな板碑が菱形に建てられてある。伝承と異なり、表面に「皇国諸工祖御神璽」とあり、裏面に由緒が見え、明治三十年(1898)十一月建立とある。。近隣各町村の世話人多くを始め、当地川島の二十七名の名が世話人、委員としてあり、二段の土台各面にも数百人と思える県内各地の人名が刻してある。由緒に「……本地権田仲次郎氏将敬神愛国之意首唱発起於是盛事與賛同諸人誠以建……」と読め、権田沖次郎が発起人であることがわかる。「武州菅谷古城趾川島金刀比羅祠下信濃散史與田信道謹撰」とあり、與田信道の撰文、小川町下里の田端槐洲の書である。神官では、出雲国之伊波比神社社司高橋信行、神道修成派教務担当支局始祖伊古之速御玉臣神社社司少宣教小川喜六の名前があり、司計【会計】は菅谷の中島宇之吉である。
 権田沖次郎は川田屋現当主一郎氏の三代前の祖であり、建立場所は現況から見て寄進した土地と思われる。なお、高橋信之は鬼神様の宮司を務めた人であり、小川喜六は小川家の三代前の祖にして、刻してある通り神道の普及に努めた方と思われる。子息の伊三郎は、上(かみ)の綿屋より婿入りし、菅谷村村会議員を歴任して川島の地名復活に尽力し、地域発展、神社繁栄に尽くした人である。

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