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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

新玉の年は明けきて武蔵野に
   きらめく光さしわたるかも

              町長 関根茂章

 新年明けましておめでとうございます。
 すがすがしい気分の中にも、よし今年こそはと新たな決意を覚えるものでございます。昭和四十六年(1971)が健康で幸福の年でありますようまず謹んでお祈りする次第でございます。
 一九七〇年代は、嵐山町を含めた比企丘陵が飛躍的に開発発展する時代であると思われます。いまその基礎が着々と築かれようとしております。おそらく今年中には関越高速道や嵐山バイパスも確定を見るでありましょう。又、この時代に即応する為、町営水道の拡大や校舎の改築にも着手してまいりたいと念じております。すべての仕事は町民の御協力を得なければ出来ません。ぜひとも御理解をいただきかわらぬ御協力をせつにお願いする次第でございます。
 健康な方々は一生懸命働いていただき、子供達にはしっかり勉強してもらいたい。又、老人や病人、困った方々にはいくらかでもお手伝いをして参りたいものであります。経済的繁栄の中にも豊かな心、ゆかしい情緒と礼儀、暖かい融和の精神を養って行きたいものでございます。「新玉の年は明けきて、武蔵野にきらめく光さしわたるかも」新年に当り所感のいったんを申述べご挨拶と致します。(新年の放送より)


新春を迎えて

              議長 山岸宗朋

 嵐山町の皆さん開けましておめでとうございます。
 七〇年代と、やかましく言われておりました第一年度は終り、第二年度を迎えるに当り、過ぎ去った年にあった様々な出来事を思いおこし、その上から新らたに夢を考えてみたいと存じます。
 経済的に日本の産業力は世界で第二位となり、世界各国で驚いておりますことは、皆様方ご周知の通りであります。未だかって私共はこれまでに発展するであろうと思ったことがあったでしょうか。
 世の中の変化は私共には、はかり知れない事ばかり多いのであります。しかしながら、こうした高度の成長をなした裏には、公害ということで、地域住民が犠牲となり、大きな社会問題となりました。東京都の周辺と産業都市に人口が集中し、片や住宅問題を生じ、片や人口の流出化で問題化されております。
 嵐山町に於ても然りであります。現在の様な形相を誰れが考えていたでありましょう。誰れが夢を見たでありましょう。
 地産団地は二、三年後に完成し、八百戸以上の住宅が一度に増加することになります。
 やがて関越高速道路が町の東から西北へと走り、バイパスも出来ることでしょう。
 滑川村に出来る明治百年記念の国立公園も完成され、一月に何十万と言う多くの人々が入りみだれて来ることでしょう。自然の美に恵まれた嵐山町にも数多くの人が美しい自然を求めて来ることでしょう。美しい嵐山町に住いを求めて、永住を希望する方、或いは発展する嵐山に商業の基盤を、工場の敷地を求め、尚一層多くの方々が来るでしょう。形に現われて来たものなどを取上げて見ても、嵐山町の外からの力により、或いは町内部からの発展はまことに大でありましょう。
 この時に当って私共議会人に負わされている使命の重大でありますことを新らたに認識を深める次第であります。
 比企丘陵の一角にあります嵐山町が田園都市として生活環境をより良く改善を図り、福祉の向上と公害をなくすよう、将来に対し悔のないように、周知を集め、最善の努力を傾注し、町政のために微力ではありますが、骨身をおしまず努めてまいりたい所存であります。どうか皆様方の暖かいご支援とご理解あるご協力を懇願申し上げます。
 おわりに町の皆々様のご健勝とご繁栄を祈念申し上げて年頭のご挨拶といたします。

『嵐山町報道』210号 1971年(昭和46)1月25日
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