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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第3節:昭和(町制施行後)

嵐山町

嵐山町章・町歌・音頭ともに、制定日は1967年(昭和42)4月15日。

嵐山町章

町章

滑川村伊古
  保泉一生 氏


嵐山町歌

滑川村羽尾
  木村倉之助 氏*1

*1:作詞者。作曲者は青山梓。

一 山はむらさき水清く
    恵みは厚きこの楽土
  いま老若の人和して
    日々の営み新しく
  わが嵐山の町はあり

二 寿永文治の昔より
    文化の花の咲きし里
  いま学術に産業に
    息吹を見せてたくましく
  わが嵐山の町はゆく

三 都幾の川波のびやかに
    さきはう行手示すなり
  世の進運にこたえんと
    望みあらたに立ちあがる
  わが嵐山に栄あれ


嵐山音頭

滑川村羽尾
  小久保佐一郎 氏*2

*2:作詞者。作曲者は青山梓。

一 ハアー 朝日さす
  遠の大平 塩山あたり
  あいの木の芽が ほぐれてもえて
  ホイサ 嵐山 武蔵の名所
  名所かかえて ひとおどり
  ラン ラン 嵐山 山の町

二 ハアー 勇と智と
  情ある人 重忠公は
  菅谷台地に 今なおおわす
  ホイサ知ってる 城趾の月が
  月が二人の 肩てらす
  ラン ラン 嵐山 四季の町

三 ハアー 都幾と槻
  逢うてうれしい 二瀬の月に
  つなぐ手と手が しらずにぬれる
  ホイサ二人の 小さな夢が
  夢がふくらむ ひとすじに
  ラン ラン 嵐山 川の町

四 ハアー 八幡の
  森にだかれて 義仲どのが
  うぶ湯つかいし 清水は今も
  ホイサ昔の おもかげ残す
  残す情の 七清水
  ラン ラン 嵐山 愛の町

五 ハアー 子だからは
  国のたからよ おうちのたから
  根岸観音 越畑薬師
  ホイサ子育て まんまるまるく
  まるい笑顔に あすがある
  ラン ラン 嵐山 あすの町

『嵐山町報道』173号 1967年(昭和42)5月15日

嵐山町歌・音頭
   発表会終わる

 十二月十一日、この日寒気はやや強かったが、幸い小春日和の好天気に恵まれ、たまたま農休第三日に当って来賓も数多く、町歌、音頭披露のプログラムはすこぶる和やかな中に進行した。
 町歌・音頭の作詞者木村、小久保両先生の見え、作曲者青山先生、音頭振付の石井みどり先生、レコード吹込歌手竹居明先生等の顔も見えて、列席者一同を喜ばした。
 式は、町長、議長のあいさつに始まり、作曲者青山先生に対して感謝状の贈呈があり、続いて歌手竹居明、斉藤敬子両先生による町歌、音頭の披露、更に音頭振付の舞踊が地元婦人会有志によって公開されて第一部を終った。
 第二部は、歌手竹居、斉藤両先生を指導者として参加者を対象に、町歌、音頭の練習が熱心に行なわれ、続いて石井先生の西洋舞踊の特別出演があって、本日の発表会をつつがなく閉会した。

『嵐山町報道』180号 1968年(昭和43)1月20日

団体章・団体歌の意図するもの(一)
 ——町章町歌音頭の巻——

 学校諸官衙を始め会社工場事業所等公私を問わずその団体を象徴する標識を持ち、またその団体の理想像を打ち出した団体歌を持っている。
 その優劣真価は別問題として、本欄には本町の町章町旗・町歌、町内小中学校の校旗・校歌について所見を述べてみい。

町章町歌等決定まで

 町制実施にあたり、躍進する嵐山町を象徴し郷土を愛し、町民意識を高揚することを趣旨として、「町章」「町歌」「町音頭」を公募することとなった。即ち昨四十二年一月〜二月を募集期間とし、三月審査月に当て各層代表の厳密な審査の結果、入選作を予定し町制実施委員会の承認を求めて、町章は同年三月十六日に、町歌音頭は四月十二日に決定した。しかし実際にこれらの制定された日は町制実施の四月十五日と解すべきである。

町章と町旗

 町章は、「ラン山」を左右逆にして*1上下に配合図化したものである。文字を図案化した市町村章はよく見られるもので、本町章もその例である。
 本町章の意図するところは、町民が一致協力して清潔な明るい田園都市づくりに、邁進する気構えを現わし「融和・発展」を象徴するものである。
 作者は滑川村伊古保泉一生氏で入選第一位に押された作品である。
 町旗は、白地に藍色を施した町章を中心に配したものである。空高くひるがえる町旗、諸儀式の正面に掲げる町旗は、町のシンボルとして高く広くわが嵐山町の行手を標榜するものである。

*1:左右反転ではなく、回転で左右逆にする、の意。

町歌

 歌詞は七五調五行句三連より構成されている。一番は山紫水明風光明媚の郷土を讃え、住民の愛郷意慾と町民和合の気構えを出している。二番は、源氏にちなむ史績のゆたかなこと、この伝統の中に学術・産業の息吹と将来の発展性を歌いあげ、三番は都幾の清流のごとく日ごと躍進する嵐山町の行手を歌い、世の進展に順応する願いを強調して結んでいる。
 作詞は滑川村羽尾木村倉之助氏の力作、作曲は本町平沢団地に居住する青山梓氏によるものである。

嵐山音頭

 音頭は町歌とその趣を異にするものである。町歌、校歌のような固さを持たず、楽器入りで気軽にだれにも親しまれ、その踊りに誰でも飛び込めるような平易な歌詞と曲節が切望される。ただ、その土地の特徴を面白く歌いあげることが是非必要で、郷土との結びつき居住民の願いを表現することについては、町歌・校歌と何等変りないものと思う。
 当町音頭が右の條件を充分備えているかどうかは別として、入選作小久保佐一郎氏作詞の内容を拾って見る。
 主軸は七七調で最後を七五調で終わるもので六行一句、原作は七句に及ぶものであったが、これを五句にしぼって決定された。各句の最後「ランラン嵐山」として、音頭気分を煽っている点に特徴があっておもしろい。
 一番は、大平山塩山の木の芽と武蔵嵐山の名所を取上げたもの。二番は、重忠公像と城跡の月をうたい、この辺りを散策する男女のなまめかしい情緒も浮出ている。三番は都幾川、槻川をとりあげ、二川の合流点二瀬川原の夕月を愛でて語り合う二人が主題となっている。四番は鎌形八幡の森を出し、木曾義仲産湯の清水、伝説の七清水に触れて一種の興味を投げかけ、五番は根岸観音・越畑薬師を出して国宝家宝たる子育てのため、薬師観音のご慈悲にあやかりたいことを願っている。嵐山音頭の作曲者は、町歌と同じく平沢団地に住む作曲家青山 梓先生である。

報道編集室 安藤 専一

『嵐山町報道』187号「所見欄」1968年(昭和43)8月25日
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