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第6巻【近世・近代・現代編】- 第2章:政治・行政

第2節:昭和(町制施行前)

菅谷村

菅谷村

新村の中心をなす大字菅谷の地は鎌倉の名将畠山重忠居住の地で今もその広大なる館趾が残存し、ありし昔をしのぶことが出来る。又室町の末期よりこの地に菅谷城が築構され、松山城の支城として永く上杉氏の拠点となつた、斯くの如く菅谷の地名は往昔より史上に名高く且つ現在、交通、経済文化の中心であるから、新村住民の生活に関係深く住民思想の統一に有効適切である。仍つて新村の建設に当り新村名を菅谷と決定した。

『菅谷村報道』56号 1955年(昭和30)4月25日
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